2013年03月01日

吉野労務管理事務所物語

福岡・久留米問題社員対応専門・ぶっちゃけ社労士(会社側の立場でぶっちゃけた相談ができる社労士)こと 採用と労務管理の町医者 吉野正人です。


 当事務所がなぜ出来たのか?を「物語」にしてみました。ご興味のある方は、長いですがが、読んでいただければ幸いです。


(序章)
 私にとって、開業は突然の出来事でした。開業前は、大手社労士事務所で勤務社労士として、毎日手続き・給料計算・相談対応・セミナー講師などさまざまな仕事をしていました。仕事は、事務所内での人間関係の悩みはあるものの、そこそこ順調でした。しかし、社労士事務所に勤務してから5年経った時、懇親会2次会で、日頃から仲の悪い先輩と酔いも回った状態で口論から取っ組み合いのけんかとなりました。けんかの数日後、出勤した朝すぐに、先輩から医師の診断書を突きつけられ、「責任を取れ」と言われました。ちなみに、取っ組み合いはしたものの、殴った記憶はありません・・・。

 覚悟を決めて、先生の息子(事務所NO2)に事情を話し、自分自身の懲戒処分はやむを得ない旨伝えました。先生の息子は、懇親会に参加していた他の従業員と個別で事情聴取を始めました。その後、先生が来られ、同じように事情を伝えました。先生はすぐ、けんか相手の先輩にヒアリングをしたあと、すぐに私を呼び、「普通解雇します。」と通告しました。しかも、先生の息子はまだ従業員とヒアリング中で、息子にも他の従業員全員にも状況を聞いていないのに、「普通解雇」と即決でした・・・。しかも、喧嘩両成敗ではなく、先輩は訓戒(始末書を書かすこと)レベルなのも、私自身ショックでした。ちなみに、先生の息子は、最後に私へ「個人的には解雇にするつもりはなかった。」との発言。。。これが、私の人生の大きな転換期でした。



(どん底から)
 先生から解雇を通告され、すぐに担当顧問先にお世話になった旨お別れの挨拶に回りました。私の頭の中は、「今後どのようにして生活していこうか?どのように家族を養っていこうか?他の社労士事務所に補助員で雇ってもらうようお願いしようか?」と考えていました。嫁・娘・息子がいる状態で突然の失業です。。。正直、ショックは非常に大きかったです。そんな時、訪問したある顧問先の経営者が、思いがけない言葉を私に言いました。
「あなたについて行く。」
この言葉を聞いたとき、衝撃が走りました。正直、それまでの私は、開業と言う選択肢は全く考えていない状況でした。
「1社でも私を必要としているならば、開業するしかない!」
これが開業を決意した始まりでした。



(持つべきは友)
 私が突然解雇され、開業することを決心した時に助けてくれたのは、勤務していた事務所以外の同じ社労士である友人でした。連日、私の友人達は励ましてくれ、一緒に飲みながら、開業のノウハウなどを教えてくれました。また、開業お祝いで開業ノウハウ本を贈ってくれた同業の先生もいました。労働紛争で活躍しているある同業の先生からは、労使紛争として戦うなら助ける旨言ってくれました。私自身、解雇はされたと言っても、事務所にお世話になったのは事実なので、争う気はありませんでした、その先生には、お詫びのうえ丁重にお断りしました。また、友人の税理士は、相談に乗っていただいたうえに、私の確定申告まで無料でしてくれました。持つべきは友です。この時、「社労士同士はライバルであり、仲間である」という信念が出来ました。



(開業はしたものの)
 開業登録など準備をあわてて行い、めでたく開業したものの、「私についていく」と言って私の顧問になっていただいた数社のみであり、生活できるレベルではありません・・・。ただ、開業時に0社では無かったので、私は恵まれているのだと実感し、感謝していました。しかし、開業資金も何も用意していない状況でのいきなりの開業は、予想以上の苦難が待ち構えていました。

 なんとか売上を上げるべく、あわてて開業ノウハウ本・ビジネス書・マーケティング本などあらゆる本を読みまくりました。勉強会・研修会・異業種交流会なども参加しまくりました。しかし、すぐ顧問先ができる訳もなく、社労士業では生活できないのが現状でした。結局、派遣会社に登録し、ハローワークへアルバイトを探すべく通い、面接を受ける日々が始まりました。

吉野労務管理事務所物語
※今日夕食は、麩ちゃんぷる・おでんでした。

(労働基準監督署駐在労働相談員に)
 いつものようにハローワークで求人を探していると、福岡労働局労働相談員アルバイトの募集がありました。ワラにもすがる思いで採用試験に挑み、幸い雇っていただきました。しかし、私が配属された労働基準監督署は、福岡県内で一番忙しい監督署で、相談も多くシビアな相談だらけでした。しかも、電話も窓口も両方対応しなければならず、結構ハードでした。

 そんな状況の中でも、元々労働法に興味があった私は、積極的に取り組み、この仕事は「天職」だと実感しました。当時、相談対応件数は毎月約200件対応し、助言・あっせん受付など数多くこなしました。労働法の知識も実務を通して勉強でき、かなりのレベルアップと手ごたえを実感しました。職場でも多くの労働基準監督官とも仲良くでき、人脈も広げる事が出来ました。

 しかし、相談員をして2年経過した時点で、ある電話相談対応のクレームが原因と言う事で契約更新されず、私の労働相談員生活が終わりました。クレーム対応の難しさを、痛みを伴って学んだ出来事でした。



(社労士専業に)
 結局、労働相談員を2年2ヶ月行った時点で労働相談員を辞め、社労士業1本でやっていく事を決断しました。そのとき、収入の不安はあったものの、何とかなるという「自信」は、労働相談員時代のハードな経験で抱いていました。

 社労士業1本になった時点では、なんとかぎりぎり生活できるレベルにはなっていました。社労士専業になった事を顧問先に伝えると、私とのやり取りが多くなり、訪問回数も増え、より親密になっていきました。そのとき、顧問先のみなさんが、私が労働相談員を掛け持ちしている事に気を遣って遠慮していたのを実感しました。そして、顧問先に申し訳ないと思ったのと同時に、「自分の強み・得意分野」でサービスの充実化を図る事を決心しました。



(問題社員対応専門家として)
 今まで社労士業で、多くの労働トラブルを経験・対処してきました。「どうして労働トラブルが起こるのか?」といつも考えていました。福岡で一番忙しい労働基準監督署約2年2ヶ月労働相談員として勤務し、監督署現場で、会社側・労働者側双方の労働相談をトータル約5000件対応しました。数多く対応した経験から、監督署によく来る労働者(常連さん)から「問題社員の共通点」を発見しました。それは、「問題社員の法則」として、「中小企業が問題社員を雇わないようにするにはどうすべきか?」を自ら開催している労務管理セミナーや日々の顧問先訪問で役立っており、戦力となる労働者の雇い方・育て方をアドバイスしています。

 現在、地元久留米通算10回もの労務管理セミナーを開催し、直近の労務管理セミナーでは、30数名を超える受講者を集め、成功に終わりました。今後も、労働基準監督署での労働相談員の経験を生かし、「問題社員対策・解決の専門家」として、日々顧問先の面接立会・労使トラブル立会・労働契約書調印立会・アドバイス等積極的に行い、企業の利益アップ・事業継続を助けていきたいと思います。

以上、長文・駄文を読んでいただきありがとうございましたm(__)m。

以上、福岡・久留米問題社員対応専門・ぶっちゃけ社労士会社側の立場でぶっちゃけた相談ができる社労士)こと 採用と労務管理の町医者 吉野でした。



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Posted by naitya2000 at 00:13│Comments(0)
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